鈴木稔さんの初窯展。

あの震災の日から3年。

最初の強い衝撃と、何度も繰り返す余震に

生きた心地がしなかったあの夜。

そしてあれからの不安な日々は思い出す度胸が痛む。

 

しばらくしていろんな情報が入って来た。

電話や携帯が通じなくてもTwitterなら通じたと。

Twitterって何??

それからネットで調べて、まずは緊急時の確認手段として

アカウントを取得。

 

そんな中、たまたま東京へ行った日の電車の中で

大好きな益子の陶芸家の鈴木稔さんの窯が

めちゃくちゃに壊れている写真が目に入って凍り付いた。

 

これからどうするんだろう。

陶器市はどうなるんだろう。

毎日のように新聞やテレビにかじりついて

いろんな情報を見ていたら、陶器市はやる事になったと。

でも大口のツアーはすべてキャンセルされたので

個人のお客様に来ていただくしかないと。

少しでも多くの人に益子の陶器市をやる事を知って貰わなきゃ。

益子の人間でもない私が焦るのがおかしいと思いながら

何かをせずにはいられなかった。

その理由のひとつに鈴木稔さんの器を

どうしてもまた見てみたいというのがあったと思う。

 

そうか!こういう時にTwitterで知らせれば良いのか!

 さっそく頑張ってみたけれど、

私のフォロワーさんはまだ100人にも満たず。

無知ながらいろいろ考えたり調べたりするうち、

短期間で出来るだけたくさんの方に知らせて貰うのには

出来るだけフォロワーさんが多い有名な方に

リツイートをお願いするのが一番と気がついた。

 

私がフォローしてる中で一番フォロワーさんが多いのは

糸井重里さん、あの当時でも確か40万人を越えてらした。

でもリツイートお願いするなんて恐れ多くて出来ない、

いや、でもやるだけやってようか。。

まる一日自問自答しながらようやく送信、

なんとすぐさまリツイートして下さったのでした。

 

糸井さんから直々に何度もメールをいただいて

喜んだのもつかの間、

糸井さんにリツイートをお願いした事への返事が

私に来るという事さえ知らなかった無知さ加減。

 

それでも「頑張って!」、「必ず益子へ行きます!!」、

そんなお返事のひとつひとつが

涙が出るほど嬉しくて

それから2週間、朝から晩まで返事を送り続けました。

 

そんな時、稔さんから連絡が入り、

せっかくここまでやったのだから

なんとかしてお礼の気持ちを形に出来ないか。。

「それは美保さんの使命です!」と断言され、

その言葉の強さに俄然その気になった私。

 

稔さんに導かれるままにバッジを作り、

Twitterのいろはもほとんど知らないのに

リツイートを繰り返し、

来て下さったたくさんのお客様にお会いし

一人一人にお礼を申し上げ、、陶器市が終了。

たくさんの協力者がいて下さったからこそ出来た事。

お世話になった皆様にもう1度改めて

この場を借りてお礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

 

それからしばらく稔さんは、ご自分の作品を作る事より

益子の宣伝マンとして日本中を回ってらした。

壊れた窯はボランティアの方達の手で少しづつ片付いたけれど

なかなか再建のめどが立たないようだった。

あの瓦礫の山を毎日どんな気持ちで眺めていらしたんだろう。

 

でもようやく今年になって窯が再建、

2月に初めての火を入れられました。

どんなにこの日を待ちわびていらしたことかと思います。

 

 

そして先週末から始まった初窯展!

絶対初日の一番乗りを目指していたのに

父の具合がなんとも悪く、どうしてもうかがえそうになく。

 

そんな私に今朝届いたのがこの花器。

益子ツイートを手伝って下さった方が

選んで贈って下さったのです。

ありがたくて嬉しくて涙が出ました。

 

 

ステキなカードに添えられた優しい言葉。

嬉しくて泣けるというのは、なんて幸せな事でしょう。

大切に使わせていただきますね。

 

 

私は今、自分と家族の事を考えるので精一杯。

でも出来る事を何とか頑張って早くやり遂げて

1日も早く穏やかな日々に、

人を想い遣れる日々に戻りたいと思います。

そう思わせて下さったSさん、そして鈴木稔さん。

本当にありがとうございました。

感謝を込めて。